人生初ブログの書初めご挨拶~ノ
このブログを見つけて下さった方ありがとうございます。
私は自分自身と人間という存在と、この世界・宇宙の探究者です。
このブログでは、私が日ごろ気づいたことをシェアして読んでいただいた方達が、実生活や自分自身との関係で何かしらの気づきに役立ち、過去と未来の人生に感謝と愛が溢れ後悔のない時間を送れる手助けになることを意図して掲載していきます。
どうぞよろしくお願いします。
さて、第一回目、何を書きましょうか~
書初めご挨拶といっても新年があけてから大分経っています。(新正月・旧正月共に)
近頃はコロナウイルスの情報が世界を巻き込んで、ものすごい変化を求められていますね。
生活スタイルから仕事・学業は勿論、販売業や飲食・サービス業に携わる方達の影響は恐怖を覚える程だと肌で感じています。株の暴落からの乱高下・・汗
そして多くの方がこう思っていると思います。
コロナがなければ今までのように過ごせていたのに!旅行も行けたのに!
平和で健康的に、被害者もなく今までと同じように生活が送れたのに!マスクや殺菌・抗菌処置で出費が増えるし、ドラッグストア等に並ぶ時間も何なのもう!
売り上げも見込みが立っていて、安定して事業が回っていたのに。このままでは倒産だ!
などなど。ホント切実な叫びですよね。
ここで「ほんとそうだ!あの発生源が悪い!あれがしっかりしていないからこうなった!陰謀論でいくと・・!」などなど、無尽蔵に怒りの矛先はあちらこちらに向けられます。
その根底の発生源は・・・
実はすべてエゴ(自我)の叫びなんですね、
エゴの機能は「肉体の生存を最優先」がベースにあり、その上に今までの記憶や思い込み・洗脳等を基に感情を揺さぶることを瞬間的に行います。すると、情報や周りをみて突然不安や恐怖に駆られたり、自分の家族に思い込みや不安・恐怖を投影して、それを解消することを起点として買い占め行動や防衛行動に入ります。
そしてどの情報が正しいか、あの人は正しいことを言っている。逆にあの人は以前は正しいと思ったけどやっぱ違う」と二元論で事象を判断し、一層自分自身の行動を決めていきます。
「私(達)はこれだけ正しいことをしている、だからコロナにかからない!」
「他人にも迷惑をかけていない!」
その根底にあるのは
「だから生き残る」
「他人から迷惑をかけられるのは怒りが沸き上がるほど御免だ」
私も数年前までは、原因不明の未病のような状態が何年か続き仕事やプライベートに支障がでる状態でした。そのおかげで大事な婚期を逃したり・・笑
その一つに、ウイルスと細菌の違いって何だろうと思いました。
一緒だと思っていたんですね。薬でどちらも死滅できると。
ネットですが調べました。
簡単に言うと、細菌とはアルコールや薬・熱で細胞壁を壊し死滅させることができるもの。
身近なものだと、大腸菌やサルモネラ菌ですよね、台所や水回りにいるという。熱湯消毒・アルコールで死滅・安心!
一方ウイルスとは
アルコールや薬で細胞壁を壊せない存在・・・とのこと。一部は薬で効果のある存在もいるようですが、ほんと一部です。それももぐらたたき的な。
昔、ノロウイルスが職場で流行りました。その時に消毒した薬剤を今でも覚えています。
これ、臭いがアルコールとは別物で、漂白剤の香りがします。「うおぇっ」的な。手に触れると皮膚が少し溶けてヌルヌルしてくるんです。
ということは、それぞれが別物だと何となくわかります。
そしてウイルスは、その細胞の生命力(エネルギー)に寄生して増殖していくという性質を持っています。そして生命体ではないとも言われています。
こんな人いませんか?インフルエンザやノロウイルスにかかったことがない人。
この違いは一体なに!?免疫力?ストレス?疲れ?たまたま?と巷では情報が溢れていて、何が本当かわかりませんでした。
外側に原因を作ったらいくらでも出る世の中です。
私はほとんど同じ環境・同じ条件でこんなに違いが出ていて外側にばかり原因を探している自分に限界と疑問を感じてきました。
そして自分や人間を探究していくうちに、自分自身を変えるしかないのではないか?と確信に近い感情を持ち始めました。
そして結局一つの結論に行きつきました。
その人の細胞レベルでの感情やエネルギーの周波数に引き寄せられているんだなと。
ここで心理学的な話になります。
世界は自分の投影である。周りにいる家族や同僚・友人も。
そして一世を風靡した引き寄せの法則で本人が引き寄せている。(これは後日掲載しますがあくまで一例として)
そしてある事象に対して逸脱しないある一定の内面的行動をとっている。
これはすべて、自分というエゴが決めて味わっていることです。そしてそれを味わうメリットが絶対的にあった。それが疲労感や自己れんぴん、またはもう飽きた、違う状態を体験したい・そしてそれが自分のアイデンティティであり人とかかわるときの手段として使われる。(ほかにもありそうですがこの辺で。)
この根底にあるのは、「世界は自分が作っている」ということです。
病は氣から
といわれますね、あれは根性論ではなく心理学的な深層意識の視点からなのです。それを昔の方は知っていたんですね。(長くなるので後日)
なので、一つのバロメータとして、ウイルスに対しての自分の行動をステージとして定義してみましょう。
① 罹患してしまったら、自分の内面を一つ一つ紐解いていき思い当たる何かがないか。(他人からエネルギーを吸うような方は罹りやすい気配・被害者意識強い人も)
② あえて試すかのように、世間の常識というものを無視した行動をしない。
③ この情報を聞いた時に自分の現在の表層意識の感情の反応や、内面に湧く感情などを見つめてみる。
④ この事象の違う面を認知して、氣づき・または感謝を感じる。
このステージの人は被害者意識よりも自分が世界を作っているという意識の方達です。
これとは逆に自己表現や強がり、これをネタに退屈しのぎや自分の心配を解消するために人と関わるや心配しているふりをしてエネルギーを吸う等の行為をする人は、ほとんどの場合、違うステージにいます。(在り方が大事)
なので、時間ができた方は自分の内面や周りの人と改めて向き合う時間なのではないか?
この事象に対して、自分自身はどんな氣づきがあってどんな氣持ちで日々過ごすことができたか?
あっという間に過ぎる人生、忙しい世間の喧騒の隙間に最も愛すべき自分自身と少しでも向き合うことがあってもいいのではないかと思います。
私はこの事象に対して、自身のエゴを認知し減らしていくことをしています。
・・・と長々とした駄文を最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。
投げっぱなしなセクションもありましたが、巡りがあれば後日掲載することもあろうかと思います。
また覗いてもらえれば幸いです。今後も宜しくお願いします。