私の食べているもの
ブログ書き始めのあたりで、不食経験から私の食べているものをいつか書きますと言って一年以上がたちましたが、ヒーリングの効果もあってか、少しまとまってきました。
食べ物を通して感じたことも含めて何か気づきになればと思います。
いきなり結論
外食は味噌ラーメン!(もはや王道w)
それ以外食べません!(嘘w
基本自炊なので、麻婆豆腐、肉野菜炒め、鍋、焼き・煮魚、きんぴらごぼう、納豆、みそ汁、白米・玄米、牛・鳥トマトソース煮込み、うどん、パスタ、ブロッコリーサラダ、アスパラサラダ、梅干し、
と、こんなレパートリーサイクルです。
また、ドレッシングは手作り、各種の料理の味付けは中華以外はシンプルな醤油、塩、みりん、酒、だし。お手軽味付けパックのようなものは一切使いません。
そうそう、カレー・シチューなどは二年ほど食べていません。(一回だけ簡単めにルーから手作りしたくらい。)
これらの料理から感じたことは
わたしには、塩分が必須
ということ。
だって塩と醤油・みりん・酒の味付け料理で、美味しくて幸せなんですよ~~!
高血圧が取りざたされてからずいぶん経ちますが、その原因は塩分と言われ続けてきたと記憶しています。私はこれに違和感を持ちまして。
まず、古代の人であっても塩分は必須でお金の変わりになっていましたね。そのくらい生きていくためには必要になっています。ただすべての人にではなく、多くの人にということでお願いします。(中には塩分によるアレルギーや種々の反応が出てしまう人も必ずいるはずなので。)
汗をかいても塩分はでていく。カリウムで体内の余分な塩分を排出する。一日に10gを基準に。
など、どう捉えても取りすぎにはならないのでは?と
そして、減塩の商品や料理を摂取したときの、あの何とも言えない食事の意味が欠落したような感覚=幸せを感じない
だからあまり動きたくない、だってなんか元気が出ないから。でも何かヤバい等の危機を自分に課したら動きますが、根底には罪悪感や恐怖などの感情がエネルギーになっているだけ。
脱線しかけたので戻ります
そしてその欠落感を補うために、甘いものが氾濫していてその誘惑や、満足感を補填するために甘いものを食べる。
癖になってどんどん量が増えてくる。砂糖の弊害は塩ほど言われていないですよね。最近読んだ、アウトローなベテラン内科医が提唱するのは
「人間は、必要なものを直接与るとダメになる」
というもの
深いですね~~~~><;
砂糖は余分といわれているものを精製して白くきれいで甘さ重視の素材で様々なものに、またブドウ糖にまで分解してお菓子や甘い物、下手するとスーパーの総菜・料理・漬物など全般に使われています。
メディアはよく「脳にはブドウ糖が必要だ」
と言っていましたが、それは内臓が適切に分解した分が脳に必要なだけであって直接・多量にとることの弊害は言っていません。
私個人の数年の体験から言わせてもらうと
ブドウ糖が多量に使われてる食品を食べると、凄まじい眠気が襲ってくる。そして運転中などで吐き気がするほどの我慢を強いられる。
というのを何十回と体験してきました。当初は「疲れ」や「寝不足」で片づけていましたが、万全な状態でもたびたび経験するので、私としてはこれが原因として日々生活していまのところ、この検証は当たっています。
話は塩分に戻りまして
私は、昼に行きつけの味噌ラーメン大盛を食べると、寝るまで食べなくても元気なんですね。もちろんスープまで毎回飲み干します。その時の満足感と幸福感、そこから出る美味しい食事をありがとう(TT
という感謝を感じられる。
そして元気に運動できます(笑
よく体に悪いから飲まないという人がいますが、身体に負担が少ないラーメンであればという持論です。(ここを掘ると、とっちらかるのでこれ以上は分析・言及はしませんが。)
私の美味しいラーメンの基準は、スープまで飲んでもおなかを下さない、身体が元気になる。
というものです。
身体って正直
と昔からいいませんか?
私の身体は、塩分を取りすぎると
「もういい」「十分すぎる」
といような感覚にさせてくれます。なのでそれを目安にしていますが、それはここ2~3年で2~3回ほどです。麻婆豆腐を作ったときに、店のような色合いと濃い味にしてみたくて、テンメンジャンと塩・醤油を結構いれてみたときと、カレーに塩を入れすぎた時ですね。
この時はさすがに塩っぱすぎて、全部は食べられないと強く感じました。(小分けにして残さずいただきました)
この体験があるから、身体の声を聴いて食べるものや取りすぎか、の基準にしています。
このあたりでそろそろ終わりになるのですが
ひとつ
過去に私が唯一高血圧になった経験を書いておきたいと思います。
私は20代中盤のころ、ある程度の減塩の思想で管理された食事を3食提供される寮で、日々肉体を使った教育の仕事をしていました。労働時間は毎日12~17時間(事務作業もあったりの)、休日もらしい休日も少なく。部下を8人から、手広い時は30人ほどの青年たちを決まった期間内にある一定基準前後まで成長させるというものでした。
私のいた部署はみな理想が高く、一部厳しいことでも知られていたこともあり、皆自分にもお互いにも厳しい雰囲気が当たり前にありました。なのでよく大声で叱咤激励や怒りながら教育していました。
その時わたしは、水分補給でアクエリアスを程よく飲み、純粋な水はあまり多く飲みませんでした。
それと缶コーヒーを4~5本、もちろん砂糖ミルクの。
そして平穏な日が少しあるのですが、その時に血圧を定期的にはかるようになって。
みてみると上が170前後、下も120弱
が半年以上続いたのです。食事も適正なものをとっていて、日常で運動して大汗かいて、身体も体脂肪10%を維持しているのに、なぜだろうと思いめぐらすと、ストレスが凄まじくありました。特に怒りや納得できない、などが強烈に。
しばらくして異動することになり、そのようなストレスがあまりかからない職場になると、完全に基準値を安定するようになりました。それとアクエリアスの摂取量は少し減りました。
まとめると
高血圧の原因を塩分としているが、塩分は「精製された塩」と「自然塩」があり、自然塩のほうは本来必須な人が多いので、身体が欲したら多めにとることをお勧めします。
それと血圧はストレスや感情のもつれで変動することもあります。(寒くてもほぼ高くなります)
一部、体調の原因の探究結果を乗せましたが、病気やケガも心理学や精神世界の考え方とエネルギーワークで改善する人も最近よくききます。昔はそれと宗教などを絡ませたりして嫌な思いをした人も少なくないと思いますが、適切な基準をもって関わると打開される道もあるのかなと思います。
色々脱線しかけましたが、まだまだ食事等で書いておきたいことはあります、またわかりづらいところも多々あろうかと思いますが、何か気づきの役にたてば幸いです。
ありがとうございました。
悪魔の子という歌に出会い
何度もブログに自分の思いを書きたいと思いつつ、一方でそれが怖く認識が整っていない自分が書くのは申し訳ないという想いが強かったのですが、溢れ気味になってきたので抑えることはないと思いまして。
ここ最近、衝撃的な歌に出会いました。
まだ30回ちょっとしか聞いていませんが、そのほとんどで涙腺崩壊しています。
タイトルの通り
ヒグチアイさんの「悪魔の子」
なんでしょうね
聞くたびに
歌詞に込められているであろうヒグチアイさんや主人公エレン達の気持ち想いや、自分の内面に持っている思いがどんどん引き出されていく感じ
最初に聞いたときは、シンプルに最後の方の
「世界は残酷だ それでも君を愛すよ
何を犠牲にしても それでも君を守るよ」
で号泣
・・・私は一人っ子ですが、幼き頃にそこまでの無条件の強烈な愛のような体験をしてこなかったという記憶を持っていました。同居していた従妹と比べられて圧倒的な劣等感を味わい。
過度に手間をかけて何でも世話をしてもらったようなことも恐らくありません。ですが困ったときは助けてもらいました。
母が亡くなってから知ったのですが
放任するには、その人に「莫大な愛」
がなければ到底できないということを。
この歌を聞いて
自分の中にある幼き自分が
「残酷な環境でも愛してくれる人がいる」「なにを犠牲にしても助けてくれる」
というまっすぐで疑いのない想いを浴びるように感じさせてもらいました。
親は私が赤子の時は、このような想いでいることがほとんどであったにもかかわらず、それが当たり前だと無意識に思っていて。でもこんなに純粋でまっすぐな想い(愛)の激流が私をカスッた時、今まで拗ねることで少しでも自己憐悶にふけっていた自分の本心から「ごめんなさい」という涙の濁流があふれてきました。
何度か聞いて、自分の勘違いというかわがままから発した感情が涙とともに流れていくと、どっと心地よい疲労感が。
それらの感情がおさまってくると
新たに気づくところが
「間違いだとしても 疑ったりしない
正しさとは 自分のこと 強く信じることだ」
どれだけ強いエゴが洗練されてかつ、忍耐強く慈悲深い面ものぞかせるのだろうと
普通の人ですら、人生でも数えるほどしかできないであろうことを
アニメの主人公たちの想いですが
あの残酷な巨人の世界でエレンがミカサやアルミンに持っていた根底の想いであり、エレン自身、自分の決断に覚悟を持っていたというのも。
それを自らの行動で表現していくエレンの想いを言葉で表現していることにも感動し涙が。
(二元性に強くとらわれる内容ではあるのですが)、そこまでやりきって気づかせてもらえることや、間違っていても咎めるどころか疑いもしない。
一見、世間の常識から外れると危険や、人とのぶつかり合い
というのもありますが、それさえも受け入れる柔らかく優しいぬくもりのようなそれでいて力強さを感じる愛
それを身に受ける。
エレンは母を巨人の脅威で亡くしました。
ですがその境遇であってもこのさきずっと
ただ、ただ生きるのは・・・・・
「嫌だ!」
もはやエレンの凄まじい叫びが、私達の本当の人生を生ききる!間違っていても正しいかどうかは自分が決めろ!と
・・・わたしという人間が心で叫ぶまでの詩を書いて、歌にしてくれたヒグチアイさんと、それを最大限にまで表現し編集してくれた方々に、感謝と尊敬の念を感じます。
そして原作者の諌山創 殿
私のような境涯の人がいる限り、地球が亡くなるまで、永遠にも近い時間、残っていてほしいと感じる作品を作っていただいてありがとうございました。隅っこではありますがこの小さな場を借りて。
まだまだ溢れ移る認識の一部を何とか文章にできましたが、皆さんはどんなことを感じましたか?
私はまだ結末を知らないので、これからの認識の変化が楽しみです。
今後、これから感じた自我やフラクタル的なことも記事にできたらうれしいですのですが、そこまで整理できるか自信ありませんがw
ちなみに1番は愛を感じる内容ですが、2番は人間の内面の黒さ、なぜ戦争する?や多くの人が持っているであろう自分の中にある当たり前の残酷さのようなことを表現していると感じる内容で、ほんとうに1曲で多すぎることを気づかせてもらえる素晴らしい歌です。
ひとまず今日も読んでいただいてありがとうございました。
何かをするときは。
ここ最近の変化が定着しつつあって、ネットゲームに割く時間をほかの事にあてています。
1週間ほど前にさとりきねしのフルコースセルフヒーリングをしました。セルフカウンセリングから問題特定の情報収集まで独り言をいいながら(笑
ゴールセッティングは以前に月闇様とのやりとりで、手を付けられずに放置していた課題(返信さえもできていません、ごめんなさい)
①まずは収入をしっかりと得る。(自営にしろ就職するにしろ)
②エゴの健全な成長を意図しつつ、その成長阻害要因を見ていくこと(認識していくこと)
③家庭環境、両親との関係性をよく観察すること。
この3つ
と
私が退職後、友人等に言っている目標は
「人間卒業」
そして「この宇宙卒業」
認識を広げると
人間を卒業する境涯まで自己憐悶・被害者意識を統合・無にかえし、そこに至っても悔いや葛藤が残らないような状態になること。
そしてそれ以降は、無論表層意識では認識できていませんが
「それでありそれでない」
に気づくという目的「意図」を持って。
(ようやく言葉にできた)
・・・こうして言葉にすると恥ずかしいくらい傲慢ですね(苦笑
これは脇において
セルフで施術したテーマは6つ
「永遠恐怖症」
「依存症(中)」
「愚かさと距離を置く」
「時間泥棒」
「食べる」
「退屈」
今までは、2つ~3つがやっとでしたが、最初に永遠恐怖症をやったためか、自分のエゴ「もうそろそろやめようよ」
という声を押し切るエネルギーを何とか維持しつつ6つやりました。(3つほどはヒーリング体がかなり少ないのもあって)
6時間かかりましたが、終わってみると何とも言えない落ち着き感
この状態の体験を言葉にすると
感情にふりまわされづらい、一段上の位置
のような感覚
そして今まで思いを巡らせても表面を撫でてわからないやと隅においやっていた事柄の認識が広がるというか、変わるんですね。
いまブログを書いていても引き続き実感している事は
「食べる」こと
です
わたしの過去ブログにも書いていますが、以前から不食のようなことを少しやっていまして。
それは周りからみれば、ある種、理解しがたい奇行であり理解のある人からすれば、一定の肯定はされるようなことですが、それを始めた意図はいくつかあったと今なら認識できます。
それは
①自分の健康を増進して、二十歳前後の力強さを取り戻し、仕事をきっちりこなし余暇を思う存分楽しむこと。
②未知のことを体験して、どんな状態になるのか。
③体をスリムにして、周りから賞賛されたい。
こんな感じだったと今、振り返って納得できています。
このエゴが強い限り、不食をする際に余計な苦しみは味わいにくいのですが、不食を認知してもらうことでこれらのエゴが、「もういいよ」
となって手放していくと
逆に苦しみや葛藤が生まれてくるんですね。始めた意図が達成されてもういいよとなっているのに、過去の思考パターンやセルフイメージから続けているため。
色々と前置きが長くなりましたが、
テーマの「食べる」を通して
今の自分に
なぜ食べる
何のために
をより力強く問いかけた結果、食べるについての意図を徐々に感じるようになりました
いまは
「幸せを味わうため」
という言葉がでました。
五感を使って食事を体験し、それを作るという過程を味わう。
皆さんはどう答えるでしょうか?
不食体験以前の私なら
食わなきゃやっていられない
退屈
幸せじゃない
身体が成長しない
筋肉がおちる
などといっていますね
働かざる者食うべからず
という言葉遊びも言うかもしれません。(遊びならいいです、呪いにまで発展しなければ)
それと
並大抵の努力では到底無茶だと感じていますが
「悟るため」
恐ろしく傲慢で無知なことですが。
だからといって打ち捨てておくことではなく、逆にそう思っていてもその人の自由意志なのでとがめられることはないと確信しています。
食べるという行為を通じて
食材に
それを手元に運んでくれた人々に
地球の自然・恵みに
うわべではなく、少しでも謙虚に感謝を感じること
例え、人工的に作られたものであっても
遺伝子組み換えであっても
良い・悪いはその人の都合によっていくらでも変わる
ただそこにあることに
ここまでよんでいただき、ありがとうございました。
同じ日の夢に
♪夢でもし あえ~~たら~~ ♬ ♬ 素敵なこ~~と~~とねぇぇ~~~🎵
大多数の人は、友人・知人・好きな人、家族等が夢にでたことがある人は多いと思います。
中には、自分が見た夢に出てきた人から連絡等があり、私もその人の夢に出ていたという体験もされたことがある人もいるかと思います。わたしも2日ほど前に初めて体験しました。
正直うれしさと驚きでいいっぱいでしたが、お互い内容は話していません。
私の夢の内容は、共通の遊びであったサーフィンで昔と同じように数人で海で遊ぶという内容でした。
ここからは私見ですが
寝ている時は、魂が抜けてどこかへいくというのはずっと昔から言い伝えられている「噂」のようなものという認識の人が大勢いると思います。
それと
「死」
を掛け合わせてみると、
死後の世界は、魂となってその人の人生を閻魔様か神様のような存在に審判されて、天国か地獄か決められる。
そして気の遠くなるような時間、その状況を味わい続ける。
というイメージですよね
今回は、夢と死後の世界の自分がほとんど同じ状態なのではという話です。
よく人が亡くなると、四十九日はこの世にとどまっているといいます。本人がまだ自分の死に気づいていないから。
そしてその状態で、この世の自分の死によって関係者のリアクションによって気づいていく。
一方、夢で出会うということは、お互いその状態で何かしらの周波数の合致で同じ領域にいった。もしくは、何か違う条件もあると思いますが。
その時の状態と、いわゆる魂というのは同じ状態なのでは?ということです。
私は神智学や「さとりきねし」で定義されている「エーテル体」から上の次元の身体だと認識しています。
この世の
「物質」
というのは、砕き切ると「波」であり「ひも」のような状態のもの。
量子力学の見解ですね
それ以上は、まだ知らないのですが。
次に
ホメオパシーの原理を一部応用したいと思います。
簡単にいうと、一つの物質を水に溶かして薄めると、理論上、物質の細かさを超える。
だったと思いますが、ある細かさまでいくと、そこから先の細かさは「波」「ひも」を超えた、「エーテル体」のような状態になると。
まとめると
人は身体がすべてというのも間違いではないけど、本来の私たちはその身体に宿っている見えない何か、魂が本質というのも、あながち間違ってはいないのかも。
なぜなら、夢の説明と魂、そしてホメオパシー理論と、量子力学で理論的には納得できる土壌が構築されつつあるから。(私の認識も含めて)
それが認められ、受け入れるこころの領域が広がった分だけ、肉の身(身体)がすべてではなく、その微細な感覚の重大さ、見えていない世界への探究が進むと確信しています。
「魂が変わると、乗り物も変わる」
人の身体で例えると
健全な肉体には健全な精神が宿る
怪我が多かったり、病気がちの人の人生はどんな感じか想像してみてください。
(全員があてはまるとはいいません。エネルギーのやりとりで成功しているような人もいるようなので。)
これからの時代、より高度な文明が発達していくのには、それに見合った意識、魂が必須ですよね。強大な力を使うのに幼い、進化の低い意識が使うとどういう結末が予想できるか。
死後の世界等が云々・・・・もありますが、まずは現実的なところでも意識の進化、精神的な成長が必要ではないかという私からの提案で、一旦終わります。
偉そうなこと書いてますが、私も精神的には小学一年生くらいですが(笑
以下宣伝です
↓
↓
↓
身体と心を本来の自分に戻し、アクティブな人生を送るために
「パラソルストレッチ」を作りました!
私の23年間の経験をもとに、タッチフォーヘルスの技術を融合させてできたものです。
メインは、「腰痛」の改善ですが、身体全体に作用していくので、痛み等の緩和に役立つと思います!
準備ができたら、ホームページのリンクを張りますので、興味のある方はぜひ、一度受けてみてください。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
変化
期間がだいぶ空きましたが、また見て下さってありがとうございます。
旧正月ということでひとまずの新年を迎えたと感じている今です。
さて
変化
ですね
私はここ3~4日、確実な変化が起き始めました。
1.早くも1年ちょっとやり続けているネットゲームに好い加減、満足してきた。
2.心と体と精神に携わるヒーラーとしてのスタイル・理念のようなものが徐々にしっかりし始めてきた。
3.胸に宿ったわずかな力強さ
4.生活・行動パターン
と目に見えない気持ちの変化・・・・ですね
一番大きいのは「1」で、ほとんどのエネルギー・時間を費やしていました。最初の変化の兆しですが、やはり内面の気持ちでした。
「いつまでこれを続けるのか。」「いつになったら満足するのか。」「なぜそこまで何かに執着しているのか。」
などを1か月ほど、ことあるごとに自問していました。それは表層意識(顕在意識)が今までのセルフイメージと社会認識から離れすぎていて、「良い・悪い」でいうと「悪い」と確信したため、起きた変化と結論。
最初は自問しても答えが出ないのですが、何度も続けていると徐々に変化がでてきました。
「俺はなぜこれに執着しているのだろう?」
「最初はここまで色々やる感じ(ゲーム内での作業)ではなかったのに。」
「ただ、あれが欲しかっただけ」
そしてメンバーとの過去の文字チャットやボイスチャットを読み直したり、思い出したりしてどこがトリガーだったのか、味わった感情やその時に決めたことを小刻みに思い出しました。
そしてその一番欲しいものを手に入れ続けて、
【満足したら終わらせる】
と独り言で言い続ける日々を数日続けました。
すると、それが終わりそうになると、そしたらこれも!
と1個2個、付随してやりたいことが出てくるんですね。それもすぐに体験して終わらせました。
そんなある日、起きていざほしいものを手に入れる行動を始めようとすると、がっかりするほどつまらないんですね。
その感情を味わったあと、内心で「・・・やっときたか~」
とひっそり思いました。そして一気にプレイ時間が減って今までおざなりにしてきた現実世界のことを少しづつ始めるようになりました。
その数日後に、毎月1回、フラクタル心理学のシェア会に参加した折、1時間半も自分のことを聞いてもらい、アドバイスをもらい、終わりの方に主催者の方から「いい加減にネットゲームを辞めなさい。そして自分の仕事のひな型を少しでいいから作りなさい」という言葉をいただきました。
その時に色々なスイッチが切れたり入ったりした気配がありました。
・・・そして今のブログ再開に至ります(笑
この前にも雪ハネで痛めた腰のストレッチを時間をかけてやったり、昨日は昼・夜と2回の雪ハネをして、隣の奥さんと色々話したり、今まで飲んでいた時間に歩いて買い物に行ったりと、生活パターンに変化が。
このままいくかどうかは、インナーチャイルド・潜在意識・エゴの絡みと時間で、自分がゲームのパターンから抜け出して何をどれだけやりたいと決めてたかの思考の量によって寄せては引く波のようになるのかな
それと変化のテコ入れが「取り返し」だと感じています。
フラクタルの集まりの数時間前に「取り返しの処置」をしていました。そしていつもは5人前後の方が集まるのですが、その日はほぼ私だけで、濃密な時間とキーワードをいただけた。
私の理論脳の言葉だけでは、現段階、説明しきれませんが、
「変えられる現象が変わる最初のきっかけ」は
「意識」
という、わかり切ったことでしたが、改めて実感しました。
ひとまず、小さな一歩として
タッチフォーヘルスの技術と今までの私の経験を組み合わせた「パラレルストレッチ」なるものを計画中です。それと「ブレインアップデート・フラクタル心理学」、「さとりきねし」の3本にまとめ、今年はそれらを世に出していきます。
【一年の計は元旦にあり】
読んでくださってありがとうございました。
再びついた生贄の印
先月あたりから自由に生活するスタイルに変化が起き始めていて。
10月上旬にさとりきねしの問題特定コースを修了しました。これについては色々まとまってきたらブログにあげようと思います。
さて今日は、ここ数か月に感じていた違和感のようなものをようやく1つ特定できました。
タイトルにある通りの「生贄の印」です!
これは二年半前にはじめてさとりきねしヒーリングを受けた時に外しておりました。後日、エホバサイドの意図により3~4か月周期で「ある条件」がある人間に対して仮の生贄の印を付けられることになっている。という情報ももらっていたので、それは確認して外していましたが、今回のは定期的なものではなく、実父との過去の過ちや罪悪感、後悔などがトリガーとなってついたようです。
思い返せば約半年前、今やり続けているゲームであるランクまで達成するという目標を達成したあたりでした。本来ならここからヒーリングの認識を広げ深めて経験を積んで・・・という流れで自分との約束をしていたのですが、なぜかエネルギー(やる気・自信)が全然足りなかったのです。ゲームに吸われすぎたかと思っていたのです。
そして試行錯誤を重ね自分なりに今できることはやり続けて、もう他力しかないなと思うところまでやっていました。
その時になんとか問題特定コースを札幌から千葉まで受けにいくことができた時、同期のひのりさんに、終了後の帰り道で言われたのが
「なんか初日にあったとき、白いモヤがかかっているようでかすんで見えてて、大丈夫かなと思った」
と言われたんです。正直、自分では前ほどはエネルギーがないとは実感していましたが、そこまでなかったのかとw
それがうっすら引っかかっていたので気づいたときに探していました。
「なんかおかしい。・・・・私に生贄の印はついている」Yes No → Yes
マジか~(脂汗
定期的なもの → No
は!?
いつから? 半年以内 → Yes 1か月・・・2・・3・・4・・
5か月 → Yes
ふぃ~~・・・
誰に? ネットゲーム → No
え、違うのか・・・!以前付けられたような情報が一括りにしたときに出たので、一度つくとつかないという認識はこれは適用されています。
じゃあ・・・・・・・
実父 → Yes
えぇ~~
これ最初に外したはず。
でも5か月前はあってない。あったのは今年の元旦と八月のお盆の時だ。電話では話したような記憶はあるけど。
ふと浮かんだものがありまして。元旦の時に実家の相続でもめることがあるかもしれないからこれを渡しておくといわれた、ひい爺さんから受け継がれている「重箱のようなもの」
あの箱は関係ある → Yes
・・・ぉ
あれを媒体として実家を継ぐ・維持する、ために私をあの土地に留めてエネルギーを注ぎ後世まで売らずに維持しなさい。というような意図があるようです。(何度か話を聞いているとこのようなことをよく言っていた)
その意図が、なぜかわからないけども5月あたりに発動したようです。
ようやく認知できたのでそのままセルフセッション
いつもセルフのときは最初のほうは省略してテーマ特定とヒーリングに入るのですが、今回はしばらくしっかりとやっていないから最初からやろうかなと思い、手順通りにやっていました。
するとエネルギーを吸う・吸われるトリガーのところで
吸うトリガー 痛みに伴う態度11
「愛を引き込めることにより、自分と他人を罰する。その結果、関係者皆にもっと悲痛と罪の意識を生み出すことになる。」
吸われるトリガー 骨相の否定の言葉12
「私は自分の目標にたどり着くことは絶対にないだろう。」
この時に、父の意図と罪悪感や後悔などを感じたんです。
私が7才の時に両親が離婚。この時のある出来事が私に強烈なトラウマを刻みました。
これをいまだに私も父に話せないし、父も私に話せない=心を開けない。罪悪感・後悔。
そして父は次男なんですが、亡くなった長男(兄)のことを「敵前逃亡しやがって~~~」と本気なのか半分冗談なのかわからない口調でちょくちょく恨んでいるというか怒りが混じっているのか。口癖のように。
これは父が若い時に、実家は長男が継ぐからお前は自由でいいぞと言われ続けていたのに。
ということは自由なはずの私が縛らる、私が亡くなったあとは私の息子を継がせるしかないじゃないか。という思考パターンに。
一方、私は独立して自営業者として人生を送っていくという目標を立てて退職したけども、一向に実現していない。このままでは目標が達成できない。
このトリガーがマッチングした。
つぎに、*******
本来なら、このあとヒーリングの流れになるのですが、先へいっても筋反射が反応しません。正中線を整えてもほとんど。
・・・生贄の印ついている → No
は?
自分なりのおちどころとしては
強い念か思考かによるものは、仮契約よりは強いがある部分まで情報開示できると勝手に外れることがある。
ということになりました。
なので、ヒーリングの柱「守護神」だけ反応したので、祈り5 亡き弟子・・・でヒーリング。
すると体全体がじわ~~と下に落ちていく落ち着きが。
続いて、色々なイメージが。
15分ほどその状態で流れるイメージを観ていました。
そして、もうついていないのを確認し終了
少ししてから、歩いて買い物へ。
いつもは胸のあたりからちょっと弱気な状態が染み出る感覚なのですが、いまは明らかに力が入っている手ごたえを感じます。
食べたものがすぐ決まったので、サッと会計へ
すると、「ありがとうございます」がいいにくいレジの女性にあたりました。いつもはそのタイミングの直前に私の胸がシクシクするんですが、今日は力強さを保ったままその瞬間を迎えました。
すると・・・・
いつもよりちゃんと言えたんです!
あぁ、周りは自己投影だ
と改めて実感し、ヒーリングの効果が実感できた日常でした。
ありがとうございました。
夢にでてきた存在は・・・
夕べは、いまやっているゲームの恒例イベントがあったのですが、特にやることもなくほぼ放置の状態でしたが、不思議と疲れてもいないのにエグイ眠気で2~3回、ガクッガクッという感じでねむってしまうので、珍しく終わってすぐに布団で寝ました。
眠気を引きずっていたので、すぐ寝れると思ったら意外と寝付けず、15分くらいしてようやく。
・・・ここであった出来事が。言葉で説明は限界があるとわかっていますが、ある種の自分の備忘録として書こうと思います。(不思議体験と、心理学的分析の材料として)
辺りはすっかり暗いですが、満月なのか、それなりにまわりは見える明るさは保っていますが、街灯などはありません。どこかへ向かうために私は、舗装されていない道を現実では知らない仕事仲間のような友人と自転車のようなもので移動しています。
突然目の前に、かなり風化の進んだお地蔵様のような、完全に冷え切った石のような冷やかさと重厚感を感じる物体が10体くらい道の真ん中を占拠しました。しかし動きません。
その時なぜか、これはかなりヤバい。と感じましたが、その横を私たちは普通に通過して先へ進みました。
「おっ、大丈夫かも」と少し安心をして30mほど進んだら緩やかな短い下り坂の途中に、ゲームの中のユニットが持っているくすんだ赤い木製の大楯を前面にもった、同じく10体ほどの風化したお地蔵様らしき物体が前方に見えました。見た瞬間、さきほどのとは比べ物にならない恐怖が出てきて、なぜかこれらは私を捕まえる。と感じていました。
ですが、一緒にいた友人はそれらの前で自転車をとめてしまったのですが、私は右を少し急いで通過できました。ですが、すぐに緩やかな坂で10mほど登りきる直前に後ろにいるはずのそれらの存在に、「得体のしれない恐怖から逃げる」という私の中のトリガーなのか、膝から背骨、そして脊髄と頭蓋骨の接点から冷やかに力が吸われるような感じがしたら、漕いでいる力が一気に抜け、坂道を上る直前で転びそうになりました。その恐怖は、むき出しの魂を吸われてこれで私という存在は終わる、二度と戻ってこれない、わずかにとらわれて。という類の恐怖で、思わず
「ひゃぁあ」と
夢の中で声は出せなかったので、思考したのでしょうね。
次の瞬間
現実世界では出したこともない声を発している自分が目を覚ましました。
本気でヤバい
と確信したので、夢が浅かったのか、すぐにそれらが私の近くに残っているような感覚があったので、なぜか「世界平和の祈り」を目を閉じて念じました。これ以外にどうしたらいいかわからなかったので、迷う暇なくこれだなと。
するとその石のような存在達は、特に感情を発することもなくゆるやかに、崩れるように、徐々に消えていくような手ごたえを感じました。
私はまだ目を閉じて、その祈りがどのような「動き」をするのか、確かめたいと思いました。何せ、特に映像もなく真っ暗な空間で何となく消えていったような雰囲気しかなかったので。
すると、真っ暗ではあるのですが、おそらく白い光のようなものを発して力強く宙を動き回る無数の太い波動のようなものをうっすら知覚しました。
(真っ暗なので、私の瞼の裏にはうっすらグレーにしか感じませんでしたが、なぜかこれは白いと思いました。)
それらが、空間を縦横無尽に動いて浄化すると、少しの静寂のあと私の目の前に、これも真っ暗な中に輪郭のようなものがしっかりした、なんとなく見えないが少し左右に広めな顔のようなものが浮かび上がってきましたが、何かよくわかりません。すぐに粒子となって消えていくときに、少ないけどもしっかりとした怒りや恨みの感情を私に向けて発してきたのです。
幸い、それを受けても特に何もなかったのですが、言いたかった言葉を私の言語に変換したら「貴様、よくもとらせなかったな」というような言葉になりました。
この夢に出てきた石の塊の存在は、ずいぶん前にも夢に出てきたような記憶がうっすらよみがえってきました。その時も力を吸われ態勢が崩れそうになったときに、声がでて夢から覚めたと感じています。
・・・その後の夢も長く続くのですが、現実世界に沿ったリアルな感触とメッセージを含んだものでした。巡りがあったら後日書きたいと思います。
最近はビールをまた飲み始めました。数日は不思議と夢の内容はなかったり短かったりしていたのですが、突然夢がこんなにはっきりするとは思いもよりませんでした。
今日も読んでいただきありがとうございました。