潜在意識とエゴと言葉
ども~
しばらくご無沙汰な状態でしたが、何もしていなかったというとそんなことはなくて。
特に今日は、あることが発端となり、それとは直接関係がないことに苦しみ悶えた半日でした。(エゴが?)
きっかけは自らのほぼ在り得ないミスを取り返せなかったことが判明したのですが・・・それはおいといて。
苦しみ悶えたあとに喉から何か駄々洩れするような感覚なので、それを書いてみたいと思います。
今ですね、ちょうど心臓から喉にかけて挫折による不毛感、悲しみ、納得できない怒りや悲しみ、そして何かが消える恐れ・・・がヘドロを吐くように感情が口から出ようとしている感じです。
これをそのまま書くとそれで終わりなのですが、これを潜在意識とエゴと言葉にあてはめてみようと思いました。
まず、潜在意識の動力源?と思われる感情がとめどなくあふれてきました。これはさらに深い意識(意志ともいうのかな)が、このような状態を味わうことを意図し、潜在意識をもってこの状態に自分自身をもっていったのかなと分析しました。
そして私の場合は、この前の段階でエゴ(自我)が悶えて這いつくばるような苦しみを味わっていました。(現に家の中を這いたくなるような状態でした)この苦しみを自己セッションで半減したあとのどうにか日常を送れている中のこの現象。
でも言葉にしようにも話せない人のように
「あぁ~うぅ~っだぁあ~っ!」「・・・おぉえっ」
と言いたくなるわけです。
ですが、これはエゴ(自我)やプライドや自分という人格がなければこれでいいのですが、これでそもそも人間としてのやりとりができない!
というエゴがあるからこそ、これ伝えたい。や、分かってほしい。や誰かの気づき等で役に立つかもというエゴで、言葉に変換する。
もとはですね、言葉にできなくても意識で繋がっているといいたいことがわかる。という人種の人がいます。チャネラーですね。
潜在意識のレベルで周波数やチャンネルが合っている状態
こういう方は、全般的にエゴが薄かったり、エゴが洗練されている方が多いと感じています。
というと、ひっくり返すようですが、エゴがなければわざわざ自分の状態や気持ち、その他を言葉にすることは少なくなると思います。実際、大悟したEO師は、内面の静寂や沈黙こそが至福という表現もしている文章も見られます。
エゴ(自我)は往々にして邪魔者扱いしたくなりますが、この地球で、人間としての経験を味わうにはある意味必須な機能だとうすうす感じています。
エゴにエネルギーを持っていかれる。
だがエゴを通した経験を味わいたい原初の意識から派生した意志がそれを意図している。だったらそれを味わいきるのが事象化した潜在意識や無意識等に連なる意識や「それ」に対する感謝なのではないかと思います。
もし自分が潜在意識で、表層意識にそれを少しでも望んでいる現象を作ったときに、毎回文句を言われ感謝もされなかったら、それ自体に感情はないとはいえ表層意識との分離感は強いですよね。
(ちなみにエネルギーを吸う・吸われるトリガーもこのあたりに関係していると体感しています。まだ浅い検証ですが。)
潜在意識には「良い・悪い」はないといわれています。だからこそそれを原初の意識から派生したものが無意識(自然)の流れから潜在意識をもって現象化させ、表層意識が味わうというのが人間
そして表層意識が味わった感情を燃料として潜在意識がさらに現象化していく。
表層意識と潜在意識の認識スピードを表すと、自転車と戦闘機くらい違うと表現されます。だからこそ気づかないんですね。
現実を変えたかったら表層意識が舵取りをして潜在意識を変えていくのがこの世界のマニュアルらしいです。そこには「感謝」が必要と考えています。
そしてエゴが色々な感情を味わい、落ちていく。その先にあるのがこの世界が幻と言われている理由と、輪廻転生をしないという選択肢ができる存在。
「実存」「真我」に気づくことだと確信しています。
とりとめない文章を読んでいただきありがとうございました。
皆様の天命が全うされますように。